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★★★ フィリピン・ボラカイ島ホットライン(1) ★★★
文:池亀一郎さん(シーガイア経営)
現地で働く事があたりまえの僕は、聞かれた時にお話はしても(記事として)記載する事は思い付かなかった事ですけれど、今回、現地フィリピンの情報に関して教えて頂きたいリクエストがありました。ホットラインの記事として現地のビザ、求人・就職、住宅事情その他、諸々に関して今後、徐々に解る範囲で経験も踏まえて触れさせて頂きます。(池亀一郎さん)
なお、このホットラインのバックナンバー及びフルバージョン、その他ダイビングログ等に関しては、シーガイアさんのサイトに詳しく紹介されていますので、ご参照下さい。(たび市場・編集部) →シーガイア http://www.sea-gaia.com/
【2003年5月25日】フィリピンの物価について
今日は物価に付いてです。日本発売の(勿論フィリピン通の方々や調査の結果)良く目にするのは本にその事に関する情報だけ載せるには余りにもスペースが充分には無くて色々な情報を載せる都合もあってか、大抵の場合日本の7分の1、とか十ニ分の1くらい、と単純に掲載されている事が多いようです。先日、巡査の基本給が7500Pと記載しましたが、最近のレートでは日本円に直して×2,3=¥17250です。日本の巡査が幾らなのか判らないし、他にどの程度の手当てが付くのかも僕には判りませんが、上記を12倍すると¥207000ですね。単純に所得から割り出せばやはり、それ前後の数字にはなるのでしょう。
でも、単純にそれだけでは物価は割り出せないし、勿論僕は経済の専門知識もありませんから、同じ様に単純に現地価格を円にして幾つか例をあげて見ます。
サンミゲルビール(小瓶)サリサリストア等で12P(¥27,6)〜15P(¥34,5) レストランやカラオケで¥43,7〜230の値幅で下記の通り(おおよそです)
* ボラカイのレストランでは25P(¥57,5)〜ディスコで50P(¥115)
* マニラのレストランでは35P(¥80,5)〜カラオケで100P(¥230)
* カリボのレストランでは19P(¥43,7)〜ビデオケで22P(¥50,6)
単純に日本の価格と比較すると安いっ! それはそれで、話は続きます。
ビールに関してはボトルキャップにプライスがメーカーで既に大きく記載されていて、(無い時もある)「12P」(¥27,6)と、少し前までは「11P」とあった。それでも、小売店では販売価格にかなり開きがあります。
7000以上の島からなる国なので場所によってもプライスに開きがあるのは判るけど、ボラカイの様な小さな島で市場付近とビーチ沿い山間部? でも大きな違いがあります。(大きなと言うのは単に価格では無くてパーセンテージで考えた時にです)
そして、その時に1本2本で買うから高いのでは?と思ってケースで買った時さらに高い時があったりして(単なる計算違いか)説明して再度交渉しても安くならず???? 結局ばら売りで購入した事が何度もあります。
面白いので、推測して見ると多分1本は幾ら、ケースでは幾らと店主に言われて居る数字が始めから違っているのに、叱られるから下げられない。
或いはこちらではビール等は瓶の保証金制度があるので、保証金込みと、そうでは無い場合。本当は何故なのか判りません? 実はお土産等の購入もそうなのです。ひとつ、ひとつまけさせて、最後にこれも買うから全部で幾ら?でポンと高くなってしまうのです?
途中で気が変わるのか?最初のうちはそれも楽しいので何度もトライしましたが最近は面倒なので、何度か交渉して、余り複雑にならないうちに止めます。複雑にならないと言うのはせいぜい3品目位(笑)沢山購入する時にはメモに書かせます。この時は最後、紙に書かれた金額をしつこいくらい電卓で何度も計算しています。(結構1度目と2度目が合いません?)
現地で財布を握る立場になる女性に値引き交渉をさせると5P(11,5)の値引きの為に15分から30分あーだのこーだのと粘るので、これも面白いので見ていましたが、最近は待つ事の方がつらいので、適当に切り上げてもらいます。
ソフトドリンク(瓶)8P(¥18,4) 、レストランでは40P(¥92)〜ディスコで50P(¥115)
ホテル等の冷蔵庫の買い置きの飲み物の価格はホテルのランクで全然違います。レストランやカラオケには持ち込みと言う訳にも行きませんが、特にマニラ市内のホテルの場合、市中のコンビニの3〜4倍の価格で尚且つ部屋で飲むのに最終的にチェックアウトする時に、部屋で飲んでもサービスチャージとTAXが通常でそれぞれ10%+されるので、缶ビールで部屋の中のメニューに65Pと記載してあって支払いは65+6,5+6,5=78Pコンビニで20P前後なので実に4倍、(¥46が¥179,4になってしまう)馬鹿バカしいのはコーヒー(僕は好きなのでつい待ち合わせの時など頼んでしまう)で、多くの場合ホットを頼むとコーヒーカップにお湯だけが入って来てソーサ(小皿)の脇にインスタントコーヒー・シュガー・ミルクの小袋がスプーンと共に乗って来る、これで80P++で96P(¥220,8)取られたりする。僕は大抵、部屋には持ち込みドリンクでコーヒーのオーダーはインスタントを出さないと判っているホテルでのみ、注文する事にしている。ウン百円単位で随分ケチな事をワザワザ書くな! と怒る方も居るでしょうけれど、僕は決してケチな方ではありませんョ。これって勿体無いですよ。インスタントコーヒーに限って言えば原価はせいぜい5Pそれに100P払うと言う事は、100P−5Pの=95Pでボラカイではシーガイアから市場まで実に19回トライシクルに乗れるのです。その方がお金は生きる気がします。この19回をバスやタクシーでの移動と考えたらお判り頂けるでしょうか? フィリピンではトライシクルはあるときはバス(乗合)であるときはお抱え運転手付きのハイヤーです。
主食であるお米は日本と同じくランクがあって、尚且つ地方と都心部で異なりますが、1kg16Pから25P(¥36,8〜¥57,5)日本ブランドのフィリピン産コシヒカリ等と言うお米もマニラなら手に入りますが、僕は購入しないので価格は忘れましたが、日本製のカップヌードルはセブンイレブンでも200P近く(¥460)するので、当然僕の購入しない商品です。しつこい様ですが、僕は決してケチな方ではありませんョ(爆笑)
この金額を考えると大抵のジャパユキさんがカップメン(何故か決まってシーフ―ド)を何ケースもお土産に持って帰る事がお判り頂けるでしょう。フィリピン製も普通に売られていますが、メン・スープ共に少なくて日本のカップメンの様におおよそ、で内側のラインと思える所までお湯を入れると、殆ど味がしなくなってしまいます。フィリピン製のカップメンを購入して、お湯を注ぐときに隣のスタッフが見ていて思わず、おおおおおっと、声を出した理由が、食べて見て判りました。
先のトライシクルやトライサイクル、ジプニー、タマラオ(乗合タクシー)バスは距離によって、様々ですが、市中では2,5p(¥5,75)〜25P(¥57,5)(ボラカイのトライサイクルは観光的要素が強いので一人50P〜と高いです)
チップ(空港やホテルのポーター)荷物1個あたり10P(¥23)から20P(¥46)但し、旅行慣れ(フィリピン)してなさそうで、身なりの綺麗な日本人には国際線等ではシェンエンシェンエン「千円」等と言って来ますが、これは現在のレートで430P前後、空港タクシーでも空港〜ホテルまで約往復出来る金額で、僕はゲストとしょっちゅう、空港で待ち合わせしてお迎えに行くのですが、上手くスムースに出遭う事が出来ないで居る時には、決まってこの手合いが、ニコニコしながら、荷物とゲストの傍らにいます。僕がすばやく断って、スッと(オレの客取りやがっての様な顔して)いなくなる時は、時既に遅しで、ゲストがシェンエン渡した後、で、ブツクサ言う時は、まだチップを渡してない時、この時は少なくても100Pは取られます。こんな時にゲストの前で揉めるのも面倒なので仕方なく支払いますが、僕一人の時には荷物1個あたり20P以上は絶対に払いません。時々そんなはした金、いらないと、つき返す輩も居るので、最初はそんな時悪い事したかなぁ? と反省しましたが、今では、あっそ、得したって感じでサッとつき返されたお金をしまう事にしています。マニラの巡査が月に7500で25日で割って1日300P時給37,5P (86,25)そしてボラカイだと、安い人は(でもとても多い)月のサラリーは1500P〜3000P時給(7,5P〜15P)(¥17,25〜¥34,5)で一生懸命に仕事をしている人が沢山いるのに、さっき出遭った訳の判らないポーターに何で「シェンエン」もあげなきゃいけないのか? ボラカイでの安月給の人のナント7日分のサラリーを、ニコニコとお愛想笑いとホンの ン10mローラー付きのスーツケースを転がしただけの奴に、ここでは僕は金額の多い少ない
よりも、観光客に慣れてしまった彼らの態度にいつも腹が立つのです。
但し、フェリー等に乗船の時や下船の時で、船の部屋まで、または部屋からバンカーボートまで、等距離が長い時には荷物1個50P(¥115)払います。
時には腹が立ったりもして憎く感じるポーターですが、状況に応じての相場が判って来ると、実にありがたい存在で、日本にもこの様なポーターが居てくれたらなぁと、荷物が多い時や重い時にだけ思う僕は自分勝手ですね(笑)
そして、彼らはそれで生活しているので、国際線のずる賢いポーター以外はホテルも含めて必要に応じて積極的に彼らに手伝ってもらい、適正なチップを払う事にしています。ホテルマン等もサラリーは安いのでチップは重要。
同じフィリピンの中でも空港、都市部、観光地、田舎では物価が随分と異なり、当然感謝の気持ちで謝礼を渡す時にも、この場所によって大きく感覚が変わるのです。
先の空港のバカタレ、ポーターには例えば500Pあげたとしたら、単に満面の笑顔で、タクシーに荷物を積んでくれて、タクシードライバーに良いカモだぜっ! と目配せするだけですが、同じ500Pを一般家庭の子供(お母さん)にこれで何かお菓子でも、と、渡したら、殆ど飛び上がりそうになる事が、明らかに判るほど喜んでくれます。1000Pも渡したら、その後1年経っても覚えていて、やれ家に泊まっていけの、夕食を食べていけのと大騒ぎになります。
ボラカイでの1500Pのサラリーを思い出して見てください。例えばそのサラリーは所得感覚からすると、日本の¥10万位には相当します。従がって1000Pとなると¥7万近いお金を何かの感謝の気持ちと称して子供に・・・・なら、もしも、日本の家庭でも主人の友人の外国人が、遊びに立ち寄って帰り際にポンと¥7万くれたらお母さんビックラして1年でも2年でも覚えていると思いませんか?
フィリピンの紙幣は1000P、500P、200P、100P、50P、20P、10Pの7種類の紙幣が流通していて最近偽札騒ぎもあり、これは偽500P札です。何故、偽1000Pでは無いのか? 1000Pは不便なのです。タクシーや殆どのサリサリストアー(フィリピンの雑貨屋)ではまずお釣りがありません。サリサリでも500Pで買い物すると大抵は100P未満の買い物になってしまう。お釣りを探して向こう3軒両隣ウロウロと両替に店員を走り廻らせる事になります。
1000P札が¥7万だとして500Pが¥3、5万札、多分日本でもちょっとした商店で¥1000程度の買い物をして3、5万円札や7万円札を出されたらきっと、同じ状況になると思いませんか?
そして、この1000Pでは平均的なお米は50kg買えるのです。しかし今度はそのまま、逆算してみると1kgのお米が¥1700もする事になって、フィリピンでの生活はフィリピンで働く人々に取っては物凄い物価高である事が判ります。
そして、それを同じように逆から考えて、一般家庭で必要とする家賃、光熱費や交通費、食費等に当てはめて考えて見たときに、日本の平均給与所得者が生活する時から見た物価の3倍前後(これはとても大雑把ですが)時にはもっと高い、だからフィリピンの一般の人はマニラ等の日本人から見た普通のレストランには、彼らだけでは絶対に入りません、と言うか入る事は出来ません。家族の一度の食事で一ヶ月の半分、若しくは一ヶ月分のサラリーが飛んでしまうからです。日本には都心に高いレストランがあったとしてもそう軒を連ねている事は考えられませんと、言うより日本はそれだけ物価が安いと言う事になる訳です。一般的なフィリピンの人々の生活はとても苦しい事が判るでしょうか?
僕的な物価に関してのフィリピンでの考え方としては単純に1000P札¥7万円100P札¥7千円一般的な生活をおくって暮らす人達がその金額のペソを手にする為の苦労が日本での7万や7千に相当して使うとしたら、1000Pが2千円〜3千円前後苦労の割に報われない・・・・・と言う事になって、結果的には働く事が嫌い
で、施しをする側よりも、される側に廻る男性が多いのだと感じています。
そしてそれにもめげずに「けなげ」に働くフィリピン人女性はエ・ラ・イッ! どの様にひいき目に見ても、フィリピンでは女性の方が良く働きます。
と、言う事で、本当に今回は特に僕の独断と偏見?で感じているフィリピンの物価を書いて見ました。と〜ても大雑把なので、何となくふーんと言う感じで受けてくださいネ。
マニラでは夜遊びツアーなる物の相場の事にも触れなくてはいけないのですが僕はその手の遊びはしないので判りません。と、言うのは大嘘です。単に物価を知るには??参考にならない様な気がしてあえて、書きませんでした。
が、知りたいですよね。
様々な形態があるのですが、通常の観光客が立ち寄る可能性のある所ではカラオケ――日本で言う所のフィリピンパブ 大抵がセット料金で8時前と12時過ぎがサービス価格になっていて、同伴や指名等日本の形態に準じています。彼女達にはノルマが課せられていて、指名や同伴、店内においてはドリンク以外につまみの類もある程度注文する事が仕事の一部になっていてかなりハードです。ノルマが達成出来ないと、かなりのペナルティを取られるので、彼女達にハマって実情に詳しくなり、可愛そうと感じた時点で出費がかさんでしまい。何とかしてあげたいと感じた時点で身の破滅です。セット料金にもエリアとランク?によって差があるものの、1時間30分から2時間で600P(¥1380)〜1200P(¥2760)程度と安そうな(日本から見て)設定ですが、当然女性が隣に付いてくれるので、指名料金200P前後(¥86,9)そしてそのドリンク150Pから350P(¥345〜¥805)つまみ200P〜(¥460)で、鼻の下を長くしてデレェ〜とした料金で2時間お一人様2000P〜3000P(¥4600〜¥7800)前後、高いか安いかは、一度試してみてください。勿論これは、おおよその価格で、大酒のみの女性(実はただの粉ジュース)が隣に座ったら予算は大幅にオーバーします。それにカッコつけてVIPルームに入ってもオーバー確実。そして、最後にそこで働く彼女達は概ね1日固定給が200P前後(¥460)ドリンクバックやら指名バック等諸々含めても、実収入1日¥1000は難しいのです。勿論、通勤費が出るどころか、先のペナルティやら宿泊(寮の様な)等、引かれて、挙句の果てにサラリーの殆どを家族に仕送りしているので、トップクラスの店のトップクラスに位置する女性も所得的には恵まれていません、まれに良いおじさん(バカな客と彼女達は呼んでます)に恵まれた一握りの女性は良い暮らしをしていますが、この場合仕送りをする側から、される側になって、お店は辞める事になる様です。女性も経営者以外は好きでこの仕事をしている女性はまず、いません。
余計な事ですが、彼女達の月のサラリーがそれだけならと、安易に計算して「この女性の面倒を見てやろう、人助けだ」と思うことは避けましょう。この国でのお金は、女性に限らず砂場に水を撒くのと殆ど同じで撒いただけ音も無く、殆ど無限に吸い込まれて行くのです。
過去に自分で生活を支えていた時に例えば3万円で生活していたのに、辞めた途端に10万円でも足らなくなります?????
そして、それから逃れようと、まとめて50万〜時にン百万出して何かフィリピンで彼女に(或いは家族の人たち)ビジネスをさせてそこから利益を捻出しよう!! とは間違っても考えない事です。
今度はそのビジネスで、余計な出費をさらに強いられる事になります。
フィリピンでは持つ人が「施す」側に廻る宿命で、そこから抜け出せる人はほんの一握りなのです。僕は当初、フィリピンに来た頃に仕事の話ばかりで無く、もっと女性の尻を追いかけろと、言われました。貴方の様にフィリピンに最初から仕事目的で来て、ミーティングと称して男性や仕事絡みの人とばかり合うのは、多分1000人に一人だと。それでも、全然仕事が形にならずイライラしていました。そしてそれらしくなるのに5年掛かったのです。そして、8年経過した今でもとても成功したとは言え無いのです。何故ならやっと、現地の経費分は現地で上がる様になっただけで、自分のサラリーさえも満足に取れない(投下資金の回収はいつになるのか?)海が好きで、今後の将来を夢見て、何とか維持しているのが現状です。
日本人がこの地で仕事をするのは本当にきついです。でも、日本で働いて日本の所得でこの地で生活するだけなら、ばら色の人生を送る事が出来ます。
そして、先のカラオケ以外でも女性達は一生懸命に働いています。ショーハウス・歌手・ダンサー・etc.所得的にはそう大差はありません。素晴らしいと思うのは彼女達は職種に全くと言って良いほど、偏見を持っていません皆、明るく働いています。事務職やデパートガール達の心の中には夜の仕事に関して、少し抵抗はある様な気がする事もあるかなぁ?位の感じです。
今はもう無いらしいのですが、昔(いつなのか定かでは無い)フィリピンの小学校の教科書(音楽)で、外貨獲得の為のジャパユキさんを応援する為に歌があってフィリピンの夜の町で働く18才〜30才位の女性は必ずその歌を知っていま
す。
それってなんなんだろ?
「も〜しもし、あのネ、あのネ、あのネ〜も〜しもし、あのネ、あのネ、あのネ・・・・・・。」日本の「ターイコバシワタロ、ワタロ、ワタロ−ターイコバシワタロ、ワタロワタロ・・・・・。」の歌詞だけ変えた歌です。どんな気持ちで歌っていたのかなぁ子供の時?フィリピンの人に聞いたら、家族と遠く離れたお姉さんと電話でやり取りする時の歌だったって言ってました。遠くたった一人で暮らす(稼ぐ)人への応援かだったのかも知れません。
今、僕が異なった考え方で、今までフィリピンに投資したお金をフィリピンに預金していたら、金利の高いフィリピンなら悠々自適に暮らしているでしょう。でも、それは僕の性格にあっていないと言う単純な理由で、それだけの理由で苦戦を強いられています、皆さんには、フィリピンを考えた時には預金をして、その金利プラス年金等で悠々自適に暮らす事をお勧めします。
判ってくれるかなぁ〜・・・・・・・・
今日はこの辺で、いちろうでした。
【2003年5月23日】フィリピンの不動産について
今日は不動産に関して、不動産と言っても購入と賃貸があります。ここでは勿論、フィリピンにおける日本人(外国人という事になります)から見た不動産に関して購入と賃貸・営業に関係する事をお話します。
通常、基本的にはフィリピンにおいて外国人は土地の取得は法律上出来ません。外国人に土地を売る事が合法化されたらフィリピン国内の多くの土地は外国人の所有になってしまうだろうとも言われています。それでも、既に失脚してしまったエストラーダ大統領の政策の一つには外国人でもフィリピンの土地を合法で購入出来る様にする案があったようです。その後どのようになっているのかは定かではありません。
但し、タウンホームの一部やマンションは購入出来る(外国人名義で)事や土地の名義は無理でも家屋の名義は可、外国人がフィリピンに現地法人を設立し、そのフィリピンの現地法人名義なら可(詳細は省略します)
フィリピンでは主導者が変わると(その地区の市長・村長等)人々の生活が大きく様変わりすることは珍しくありません街の商店等が業種によって営業出来なくなったり道路の整備等で突然取り壊されたり(単なる住居も)です。
殆どの場合、これには逆らえず、また何とか維持を試みようとしても新しく後から出来たその地区の法律?に沿うような変更が求められたり、多くの無理を通そうと(後から勝手に決めらたにも関わらず)する場合は、多額のアンダーマネーを要求されたりする事が多い上に、無理を通そうとしても、結果的には納得の行く様に、元に戻す事はフィリピン人であっても不可能に近く、ましてこれが外国人の場合は殆ど不可能でしょう。
不幸にもこの様な事態に巻き込まれた場合は残念ですがあきらめるしかありません。
フィリピン人の場合この様な時には驚くほどさっぱりしています。多額のアンダーマネーを捻出する事は当初より不可能でしょうけれど、それにしても意外と簡単にあきらめる事が多いのには???です。
日常の生活でも家族の中の父親、母親の権力は強く、たとえばそれがもしも間違いと判っていても、渋々ではあってもそれに従がう事が多いのです。そして、例えば家族の中で稼ぎ頭(特に海外で稼いで帰国し、蓄えがある者)の家族内の権力は強く、この時は当然、親との力関係は簡単に逆転します。僕の個人的な考えですが、この様に今後の自分の生活と密接に関係する「今」だけ、を瞬時に考えて後の事まではあまり考えないので、「今」力のある権力には簡単に従がう習慣?が自然に根ずいてしまっている様な気がします。
従がって、一時の稼ぎ頭の場合は蓄えが無くなった時点で形勢逆転し、その地区の市長・村長等も任期終了と共に力は大きく失せてしまうのです。特にこの場合、その権力の下で勢力的に仕事をこなしていた人々も基本的な生活が様変わりするので、極端な話、大統領が変わった場合等は、部下を始めとして親戚や知人(この辺は直ぐに重要ポストに就任する事が多い)友人全ての生活が大きく変わる事があたりまえなので、権力が大きければ大きい程、それに伴う変化も極端なようです。
田舎(地方都市)等では昔ながらの権力者の変更や交代はほぼ不可能で、安定しているようです。親戚、知人一同でピラミッドの頂点付近は固まってしまっていてその地方の殆ど全てに近い蓄えは、頂点付近に集まってしまう仕組みになっているから、きっと揺るぎ様が無いのでしょうね。
不動産の話から権力の話になりましたが、土地・家屋の所有もこの権力で簡単に覆される事があるので注意が必要で、要は地方都市であればこの権力者の状況を確認する事も考えの一つに入れなければならない事も良くあるのです。
家庭の権力者の交代から大統領の交代まで話が及びましたが、この様に力関係でその時の実情が簡単に変わってしまう事にもフィリピンの人に取っては・・・・「あたりまえ」で、日本的に考えると(日本の法的に照らし合わせて考えても)どうしても納得出来ない事が、この国にはたくさんあります。フィリピンの人々は当然それがあまりにも自然の事なので逆にその様な事態が自分の身に降り掛かっても、あきらめる事は自然なのでしょう。ガタガタと騒ぐ日本人(外国人)の方がおかしく見えるのでしょうねぇ?
不動産以外にも日本人(外国人)には納得出来ない「あたりまえ」は良くある事なのでこの辺が文化の違いと言うか? なんと言うか????
僕は1996年にボラカイで今の仕事を開始して現在に至るまでにフィリピンの「あたりまえ」で不動産関係では2度の大きなショック(実害)を受けました。これは完璧に自分の勉強不足です。
他にも色々失敗はありますが話がそれるので失敗談は機会があった時にお話する事にして、不動産関係でのど〜しても納得の行かない「あたりまえ」に関して話を進めます。
日本で法的な事も踏まえた考え方「あたりまえ」ですから、当然自分自身の考えかたが、フィリピンに慣れて来ている、判っていると言う完全な誤解で単なるお馬鹿さんな日本人だったに過ぎないのです。
1度目は現在のシーガイアに関する土地レンタルの契約をしている時の事です。
建物とそこで営業する権利と言う内容で、建物を購入(中古物件)しました。その時には、ボートステーション1の目前でメインビーチのサイドという絶好のロケーションは物事を深く考える余裕は消し飛ばさせるに充分でした。今、思うと吹っ掛けられた価格でもありました。(笑)
しかし、その時には、僕の日本人パートナー(後に殆ど詐欺師と判明)と通訳のフィリピン人スタッフ(比大学卒で優秀)地元の不動産屋、後日顧問弁護士も参加して、地主、家主、との交渉にあたり決定したのです。それ以前に契約し営業していた場所から早急に移転する必要もあったので焦りもあって比較的安易に契約してしまった事は確かです。
家主さんは僕に家屋を譲ってしまえば関係無いので(これも以後問題はあった)地主さんと話を始めると・・・・・・・実は、土地の所有で揉めている。
もう一人土地の所有者がいて本来の持ち主の確定に関して紛議係争中だと?
何それ?? 冗談じゃ無いでしょう。先に話して下さいよ〜そんな話ぃ〜!!
早速、顧問弁護士に相談(日本では大手企業かヤ○ザ関係が多く顧問弁護士と契約している事はあってもシーガイア規模では必要ありません、けれどもフィリピンでは信頼のおける弁護士は必須なのです)すると、まずは現在の地主の登記簿謄本(の様な物)を確認しましょうと言う事になり確認。「問題ありません本物です」あ〜良かった。
だったら何で係争中なんだろ? 地主に聞いて見ると、ここを乗っ取ろうとしている人がいて、戦っている、と言い「絶対に取られない様に血を吐く程の思いをしても先祖から預かったこの土地は死守するからあなたは安心してくれ」と力強い言葉が通訳を通じて戻って来てさらに安心。
しかし・・・・・・弁護士は浮かない顔、聞くと「戦っている相手が悪い」
「フィリピンでは日本の財閥系の様な大金持ち、こちらはボラカイの区長クラスで資金力が違う」と、????? 僕が書類が本物なら問題無いのでは? と尋ねると「一応基本的にはそうだが・・・・・とにかく早急に相手側の書類確認をします」と、?????何故、相手側の書類?
後日、弁護士からの連絡で相手の書類も本物で残念だがボラカイの地主は完璧に負けるだろうとの予測。結局、その理由は前記した権力と資金力の違い、と、説明された。負けたらどうなりますか?との問いに「無論、建物も取られます」と、冷たいお言葉・・・・・・・ガクッガクッ! 今後どのようにしたら良いですか? 「負ける事を前提として、時期の地主予定者との土地の賃貸契約をしてくれる様に根回しをした方が懸命です。」
結局は「血を吐くまで・・・」の地主はもろくも敗れ去り、当方の弁護士の活躍によりめでたく継続して契約出来る事になりました。がしかし、土地代がナント5倍になってしまいました。まったくぅ〜うそつきぃ〜まだ血ぃ吐いてないじゃん!!! それどころか、交渉成立時に保証金? 貰ったのかなんかでハッピーそうな顔しちゃってサ。目の前に出されたお金には弱いんだからぁ〜もっと今後の事まで考えてくださいよ。自分の先祖にまで関係する事でしょ〜もぉ〜
取られるよりは良かったのですが納得出来ませんよねぇ〜何で書類が2つあって両方本物で・・・ブツ・ブツ・ブツ・・・・・・・。
これが1つ目の「あたりまえ」でした。
さて、2つ目、多くのゲストの皆さんのおかげ様でシーガイアは利益までは出ていない(当然投下資金の回収も未定)ものの順調?に運営して来ました。
ボラカイでは当時は普通レベルにあった宿泊施設も、元々が現地スタイルの木造(藁葺きスタイル)であったので、毎年葺き替える屋根を除くと老巧化が進み(ボラカイの蟻は食欲旺盛で太い柱も食べてしまうのです)どうにもならず建て替えを余儀なくされているのに、ボラカイでの信用と実績、友達の様な多くのリピーターさん達は大きな財産として残して来たけど・・・・資金は?
「無いっ!」
旅行代理店さんやゲストからはそろそろ新しい建物に作り変えたら? と、僕の懐具合を知ってか知らずか、無責任な、でも、的確な指摘。
意を決して、資金の無い僕は、建て替えを意識して多方面に相談。相談の末に、思い切って会員制にして資金を募り、せっかくの建て替えだからもっと大きい(部屋数を増やす)宿泊施設に建て替える。との結論がまとまる。
会員システムの構築・運営・管理も全て行えて、経験も実績もあるプロもマニラで紹介してもらい、青写真やイラストも完成。
今まで、苦労して全て自己資金でやりくりしていた事を振り返ると、何故か寂しくて自分で立てた予定を断念したくなる事が何度も胸中を遮って・・・それでも、自分で(相談した皆さんの意見もある)決めた事だからと、固い決意!
その頃になって、弁護士からもう直ぐ、土地の契約期限が切れるから更新の準備をしましょう、その時に、建物を大幅に建て替えるなら土地の所有者の確認は必要だから、全ての今後の運営状況まで含めた資料と図面を持参して下さい。との連絡で、地主に報告する前に、会員権を主に販売予定のそのプロの方にも同席して頂いて弁護士の事務所で事前の打ち合わせをする必要があるとの事。
地主に報告して許可を貰うのは良いけど、何だか妙に立ち入って来る地主の様子をこの時に感じる。
さて、弁護士事務所でミィーティング、色々と話をしていて、どうも何処かピントがずれている?????(実は僕だけがずれていたって訳)
「あたりまえ」の事で、人の土地に建設した建物は土地の契約期限が切れたら地主の持ち物になる。勿論それに耐えない様な貧弱な建造物は家主が自己負担で解体し、サラ地に戻してその地から去る。
地主は自分の土地に賃貸者が立派な建造物を作れば、結果的に契約が終了した時点で自分の物になるので、そりゃもう、最初から自分の建物を建設する様にナンダカンダと言ってくる訳です。
エッ! だったら、現在購入して現に営業している「シーガイア」の建物は? と、弁護士に尋ねると、「土地の契約終了時で次の更新はしないと言われれば当然、出なくてはなりません、その時に建物は壊せと言われればサラ地に戻し運良くそのままで良いと言われたら、建造物以外の物の持ち出しは自由ですが建造物をそのまま残して明け渡す事になります」尚。「契約更新が出来た時に建物の使用料を請求されたらそれに従がう事になります」――――普通に説明されました。後になって思うとそんな事知らなかったのですか? って思われていたのでしょうね。
ガン・グァ〜ン!! 頭の中、真っ白でした。
そんな事、聞いて無いよ〜っ! 第一建物、買ったんだぜぃ! まさか声には出しませんでしたが、何を言っても後の祭りです。(笑)
この事実が判った時点で会員を募っての建築の話は終了建て替えどころか、その時点で半年程先に迫った現在のままでの継続運営も危うい(契約上)なんて!
会員募集のプロもその事は勿論承知していた様でした。そして、アタフタしている僕に冷静に話し始めました。「だから以前に契約は現在の5年書き換えでは短いとお話しました」「20年とか30年の契約にすればそれまでに投下資本を回収して撤退」と、言う事かぁ。フィリピンでではそれが「あたりまえ」でも、夢を買う会員さんはどうなるの? 「だから事前に会員さんに説明して会員の募集はせいぜい当初10年です」
ムムムムゥ〜ちょっと待ってぇと、呆れ顔をした弁護士と会員募集のプロに向かって冷静そうにしてたけど、きっと鬼の様に怒った顔で「今日はもうこれ以上のミィーティングはやめましょう」と席を立った僕でした。(爆笑)
フィリピンには地上権なんて存在しないのです。ここでも権力者が優位に立てる法が「あたりまえ」に存在していたのです。
後日、冷静に考えて見ると、日本で借家を借りる時の契約書には一般的に常識で考えられる事は、そうです日本での「あたりまえ」は記載されていないのと同じで例えば、畳の部屋に上がる時には履物を脱ぐ事、とは記載されていませんよね。そうです今更言うまでも無く、僕の選んだ仕事先はフィリピンだったのです。
と、言う事で今日はおしまい。
【2003年5月22日】フィリピンの住宅事情について
はい。それでは就職状況に続いてボラカイとマニラの住宅事情・不動産、物価に関して説明します。いつもながら僕の感じた記述なので、全て調査した訳ではありませんから数字的に若干異なっている事もあるかも知れない事を予めお断りしておきます。
どのランクからを一般的とするか意見が分かれますが、まずはその辺で寝ている人(家族)マニラにはかなり多いです。初めてフィリピンを訪れた時に僕も驚きました。大通りに面したビルの軒下、大通りのガード下、工事現場(これはビル工事等が始まるとかなりの労働者は住み込み? になります。通勤費も出ない会社が多く自宅も眠る事だけを考えると、工事現場にベニヤ板やダンボールを敷いて寝ても大差は無く、週に1度、または月に2度の給料日に自宅に帰る様です。あっ帰る所が無い、または遠い人は工事現場を渡り歩いて現場が常に住居です)このランクでは家賃はありませんが、ビルの軒下等はおおよそ場所が決まっているようです。勿論ビルのガードマン等に追い出されたら引越しですが、家族で決まって同じビルの軒下にビルのテナントが閉店したら集まってそこで眠り朝6時半位には起床して全員で何処かに行く、おとうさんを先頭におかあさんおねえさん、時にはおばあさんや小さな子供、子供等は決して早く歩いている訳では無いのに当然大人の速度より遅い、親は時々振り向くけど、付いて来れなくても抱っこはしない? すぐ上の子供が待っているような?手を引くような・・・で結局一家族でも歩く速度が違うので先頭から末尾まで長い列になります。全体的にはダラダラとゆっくりです。何処に行くのかは? それでも、最近では少し減ったかなぁ?日中でも平気で眠って(道路沿いで)いる人は一見して身体が悪いのだろうと思える人で他は何か仕事をしているかも?(今は禁止されているストリートチルドレン(子供を使ったドライバーへの物乞い)や身体の不自由を装った物乞い)日本のホームレスとは同じ様に見えても異なります。日本では単独ですがフィリピンでは上記の様に家族単位も多く見られるのです。
次に家? 廃材の様なベニヤ板やトタン板で器用に自作されている、時には軽量ブロックやコンクリートも使われる、キッチンは水を汲んできて使用、トイレは? 電気は勝手にそこいら辺から無断で電球1個分位が使えるように配線、この様な外観の家が圧倒的多い、勿論、電気や水も支払って少し大きくて2階のある様な家もあります。誰かの空いている土地に建ててあるこの様な家と、驚くのは建てる場所の問題で当然、無許可で空いている所があればそこに家を建てて住んでしまう? 線路脇(これにはビックリします、列車が通るギリギリの隙間でかなり多くの家が横一列に密集しています、調理等火を熾すのですがこれは線路の上です。彼らは凄い仕事をしていて自作のトロッコを作って列車が来ない時にトローラーと言いますが、客を乗せて人力で線路を走ります。人の線路で脇に住むだけでなくチャッカリ商売もしているのです)・ガード下・大きな橋の両脇下(なんとここは家賃?場所代がある)道路と工場や会社の敷地の塀と道路の僅かなスペース、川と道路の間の僅かなスペース。工場の塀の脇にある家は店舗になっていてその多くは大衆食堂を経営しています。1坪に満たないスペースで日中は店舗で夜間は自宅、そこに4〜5人の家族が就寝している事もあります。(どうやって寝るんだろ)以前、これらの家のうち、道路沿いに無断で建てられた住居が行政によって無残にも撤去(取り壊し)されてそこに残った廃材(家の形をしているのか、下に積まれているのかの違いで大きな変化は無い様にも見える)の上で途方に暮れている家族を見た事もあって,それはそれで可愛そうだけど・・・・・無断で作った家だからなぁ〜・・・・・・しかし1月も経たないうちに、最初は日本でも良く見かける青い工事用のビニールシートで同じ場所にテント状の屋根が幾つも出来てあっと言う間に家が出来てしまいました。新築になったので以前より立派? になっているのが凄い。川の上にも、田舎の川に良くある様な細い丸太で出来た桟橋風な感じの上に何軒もの家が建っています。橋の下に住むのも洪水が怖いけどこれは実際に見るともっと怖いです。丸太と言うよりも所々継ぎ足した様な強度は? と思える様な木が川辺に突き刺してあってその上に完璧に水上コテージ? しているのです。しかし、この種の家に住む住人は、遥か遠い昔から水上でしか生活出来無い民族で、マニラに家を建て始めたのはそう遠い昔では無いそうです。そしてこの民族に関してはフィリピン(マニラ?)政府が仕方なく許可を出していると聞いた事があります。そして、これらの住宅事情を先に書いたのは当然この類の家に現在の居住者以外に、一人でも眠れる隙間があってそこに寝泊りする時にはちゃっかり家賃が発生してアパートにもなるのです。自分が無断で建てた家でもです。
フィリピン全土ではどの程度の割合か判りませんが、マニラではかなり多くの人々がこの様な住宅?事情の中で暮らしています。記入忘れましたが、暖かい国なので布団とかは殆ど使いませんが、床にはダンボール紙とか現地の植物の葉で編んだ(日本のゴザみたい)物を必ず敷く几帳面な所は不思議です。(この状況ではベットは無いので当然床で寝ます)少しランクが上がるとシーツやタオルケットを掛けて寝ます。年間で11月〜2月頃は朝晩24〜25度に冷え込んで? この時にこちらの人はとても寒がって就寝の時にシーツ等が無い人は鼻水状況でこの頃に風邪を引いたりしています。家賃は(間借りも含む)月に100Pから500P位
一般的なアパートの時(中級かなぁ)マニラでは多くのアパートが2Fの長屋スタイルが多くタウンホームと呼ばれていて、その建売住宅の入り口にはセキュリティガードもいる。1件あたり20〜30平米で1Fは居間とキッチンとシャワーで2Fが日本的に考えると8畳と6畳前後の2部屋位、タウンホーム以外でも勿論市内の繁華街やちょっとしたわき道を入った所にもこの様な外観、時には2軒〜4軒位並んでいる建物も多く見られます。コンクリート製で比較的しっかりしている、自分で3Fに改築している人もいるので、建設当時は全て同じ外見で同じ作りのはずが、デコボコ(高さや入り口のはみ出し具合が異なっていて、店舗を開業している人も居る)これは建売を購入した人や賃貸で暮らしている人、賃貸でも何人かで共同で借りている人、知り合いを頼って居候している人(この類はかなり多い)郊外の新築で70万P〜150万P(勿論土地付き)レンタルで5000P〜15000P位(都心の方が高い)昔から借りている人は3000P位の所もあるらしい。
因みにジャパユキさんやその予備軍としてマニラで働く女性達の多くはカラオケ(クラブ)店主やプロモータの持つアパートに1部屋10人単位で生活している事が多く、私生活も管理されているような生活ですが、上記の様な住宅事情を考えるととても安全です。家賃は給料から後日差し引かれる場合や仕事にきちんと出ていれば無料の時があるようです。2名から4名で前記したアパートに住んでいる人も多いようです。
はじめに(中級かなぁ)と書いたけど、一般的な所得を考えると1軒を1家族またはカップルで借りて、または購入して暮らしているフィリピン人は相当リッチなランクかも知れない。
マニラにはマンションやコンドミニアムも数多くあります、フィリピン人の住宅事情からは当然の事ですが、とてつもなくかけ離れています。
この賃貸料金は、高いのか安いのか?(海外の駐在員達が多く暮らす)7ヶ月から15ヶ月で前記のタウンホームは購入出来てしまう事は確かです。そして、当然と言えば当然ですがここの持ち主も又一部のフィリピン人です。
フィリピンの人々でタウンホームを購入する時には日本の様に長期ローンを組み、大変な苦労をして払います、金利が驚くほど高いのです。
ボラカイやその他の地域で多く見られるのは藁葺き(ヤシ等の葉が多い)の質素な家が多く、竹や廃材の様に見える頼りない柱やベニヤ板とトタン板で作られた平屋スタイル、初めてこの国に来た時に、殆どの家の窓にはガラスが無くて竹で組んだ窓やドアーなので驚いた記憶があります。比較的家族構成の割には(大人数の家族が多い)小さい家が多いです。建築費(土地代は除く)2〜3万P〜10万P位かなぁ
最近では、土地を持っている人は比較的立派なガラス窓もあるコンクリートの家を作る人も以前から比較すると随分増えてきた様な気もします。人々の生活が豊かにもなって来ているのでしょうが、木の簡素な家は安く建築出来ても、シロアリの被害や台風(風で屋根とかはしょっちゅう飛ばされる)で頻繁に壊れるので、コンクリート製の方が見てくれも良いし長持ちするのでおりこうさんになったのかも知れません。建築費(土地代は除く)20万P〜50万P位(上記Pは大きい家ではありません良く見られるこじんまりした家です)
長くなってしまったので不動産、物価は次回にします、上記家賃を考える時の参考として、最後に「マニラの巡査の月給は約7500P(基本給)です。」
あ〜一生懸命書いたなぁダイビングより疲れるなこれって! でも、最近読んでくれたゲストや友達から「読んでるよ!」メール」が来たので単純な僕はその気になって書いてます。これに関してだけはヒマで良かった(爆笑)と言う事で又続きは次回です。
【2003年5月17日】フィリピンの求人・就職について
今日からいきなり西の風、ハバガットと呼ばれているローシーズンの風が吹き始めました。毎年の事ですが、日本で夏休みが終わり秋を迎える時に木々の葉が落ち始めると、ちょっと寂しい気分ですが、ボラカイでのハバガットはそんな時の気持ちに似たものがあります。一年中夏の様ではあるのですが、フィリピンでは夏の終わりです。但し5月中、学校はお休み(夏休み)であることには変わりはありません。
今日から、求人・就職、住宅事情に関して記述予定だったのに少しビザ関連の続きです。今回、僕は2月に訪比してそろそろ帰国を予定していました。丁度就業ビザが切れるので既に必要な手続きを終了して、待つのが嫌なので(笑)マニラのイミグレーションに預け、昨日16日には手続き完了。の、予定でしたが、しかし、古くなったイミグレの庁舎は新庁舎の建設が一部完了して引越しの準備・・・・・・ここで問題です!!! 僕のパスポートをはじめ就業証他書類の全てが「何処に行ったか判りません」との連絡。ったくも〜〜いつも、いつもやってくれるよね〜っ!!(怒)ちなみにフィリピンでのビザ取得者は更新していないと日本には戻れますが次回ビザ切れではフィリピンに再入国出来ません。切れているから取り合えず観光で、と言う訳には行かないのです。従がって僕は、フィリピンにある日本大使館で臨時渡航のビザ発給して頂いても次回フィリピンに入国出来ない=帰国できない。まいったなぁ〜もぉ〜取り合えず1週間待ってくれと言う事なので待つしか無いですね。こんな時、フィリピンに住まいがあれば良いですけど、ホテル住いだったらその滞在費用も時間も馬鹿になりませんよね。因みにこの様なトラブルはイミグレに限らず良くある事で、苦情を言ったところで、書類は私が確かに預かったが○○さんに渡した、○○さんは□さんに□ さんは△さんに・・・・・・・と、責任のなすりあいになって本気で○〜□〜△さんに確認しようとして各々が近くに居れば良いけど、これが遠方の場合、確認に回るだけでとんでもない労力を費やします。そして、殆どの場合、人に託してその人が悪いのは明らかなのでゴメンナサイはありません。怒るだけ時間の無駄です.身体にもわるいし、こんな時の最良の方法は・・・・・あっそう、またかっ! て思って、取り合えず待って状況を見ながら又、待ってみるしか方法がありません。・・・・・・・・待ちます。カワイソ〜〜なボク(笑)。
フィリピンの求人状況と情報です、殆どの場合、口コミだけで3日と掛からずに優秀な人材(使える人材)が居るかどうかは判りませんけど、スタッフを10人〜20人前後集めるのは簡単です。当然の事ながら賃金によって集まる人数にはバラツキはあります。ボラカイで2年ほど前の8月に日本の映画製作に伴い「波の上の甲虫」東條ヒデキさん・原田ケンタさん・奥菜恵さん・主演の映画で、日本から来島した俳優さんは主演の3名だけで、他、大勢の日本人の方々は全て映画の製作スタッフと言う小さな規模の映画製作の出来事から書きます。
当初、4tトラック1台分もある撮影器材をボラカイに運び込む事や、エキストラを探すのに、マネ−ジャ−の方と相談してかなりの人数を臨時雇用しなければならないと言う事になり、ポーター等を集め始めた所、簡単に集まり、断る事の方が大変でした。最初に臨時雇用契約をした時点で相手は既に自分達で映画制作期間中の手間を頼みもしないのに勝手に計算していて、中途で断ったら怒る! 怒る! 日本での労使交渉の決裂時のデモさながらで、契約書片手にポーターグループ全員でものすごい形相で再雇用交渉に陳情?これには参りました。映画の製作スタッフは撮影後には帰国してしまうので問題ありませんが、ボラカイに残って今後まだまだたくさんの仕事のあるボクは絶対にケンカ別れは出来ません。これは労使交渉?代表(ボス)との会議で丸く収まりました。
結局、マニラで多くの撮影器材のレンタルをしたのが問題で、なんと器材にはその器材を扱うスタッフが過剰とも思える程付いて来て(器材のみの貸し出しは無し)尚且つボラカイではボラカイのポーター、カティクランに到着したトラックからの搬入にはカティクランのポーター、各々グループがあって、これらが間単にだぶってしまって、あっという間に人材過剰になってしまったのです。
フィリピン人の俳優も男の子1名とお父さん役1名の2名のみ、他のチョイ役は全て現地調達(笑)。この時にはシーガイアの前で「オーディションを行う」との口コミだけで充分なチョイ役が集まって写真撮影と選考会、後日結果発表と共に最終選考をする予定だったのに今度は殆ど誰も来ない?? 確認したら先のオーディションで給料が貰えなかったので、給料が出ないなら嫌だって・・・・・・(笑)。出演が決まれば、給料は充分出るよって言ったら、トライシクルのドライバーを始めとして、みんな日本語の練習(爆笑) 。結局、フィリピン人は現地の言葉で良いのだと説明したらカタコトを焦って苦労しながら、カンニングペーパーまで作って丸暗記した現地の人はガックリ肩を落としてましたが、出演の決まった人は満面の微笑み。(全く子供と同じです)そんな、感じでのバタバタ劇になりますが、人集めは簡単です。固定収入は比較的難しいのです。ポ―ター達も完全歩合らしく仕事をすれば収入になるが休めば収入はゼロ、給料は貰っても殆どその日の内に消える? ので(蓄えは無い人が一般的です) 臨時雇用であっても、固定収入に限りなく近い仕事は彼らにとってはとても魅力的なのです。
日本人がフィリピンで仕事を探す場合も同じく口コミだけで仕事先は見つかるでしょう。但し仕事の内容や賃金に関しては100%思い通りにはなりません。当初、トレーニング期間が3〜6ヶ月適用(今は法律上では禁止になったが、実際の現場ではこの慣例は消えていないことが殆どです)されて、通勤費もままならない程度の給料ですので我慢して働きながら条件の良い所を探す事が良いでしょう。
フィリピンの政府で発表した去年の失業率は15%前後だった様な記憶がありますが、もしかすると25%だったかなぁ? 日本では6%で大騒ぎしていますが、フィリピンでは遥かに高い失業率です。雇用する側から見ると簡単に人材は集まります。特に日本企業の場合、日本人が雇用主の場合は家内工業的な仕事であってもフィリピン人から見たら、自分で幾ら謙遜し、規模が小さいと説明しても・・・「大企業」とされるので注意が必要です(飲食店や2〜3人のスタッフが必要な雇用主)は日本の感覚で新聞広告等出したら大変です。以前、広告で人材募集を行った所、集まりすぎて断る事の方が大変で逆に就職希望者からの苦情の処理に苦労したと言う話が実際にあります。
日本人が仕事を探す時の前記は一般的な状況で、真似をされると困りますが友人で日本の回転寿司でアルバイトの経験があって、フィリピンに来てから日本料理の店に「優秀な板前」と、自分を売り込み、驚くほどの高給で雇用されたと言う例もあります。(その後の事は?)ボラカイでも多くの場合口コミ募集です。ダイビングのインストラクターやダイブマスターの場合、飛び込みで売り込みに来る人が、日本人に限らず年に何名かいますが、特に日本人以外の場合失敗の方が多かったです。詐欺もいました。インストラクターとして臨時でも良いし完全歩合で良いから働かせてくれと頼みに来て、当然最初、給料は発生しないので安易に引き受けた所、サイトの勉強をしたいと3〜4日潜って(当然無料)その後、荷物を取りに以前働いていた所に戻り、2〜3日で戻ると言い残してドロン!
あくまでも、僕個人の感想ですが、多くの子供が親に勉強を強要されて嫌がるけど仕方なく勉強しているのと同じように、家族や周りから強要されて嫌だけど或いは、仕方なく、仕事をしている人が多い様です。勉強の嫌いな子供が全てでは無い様に、仕事が嫌いな人が全てとは言いませんが良く似ていると思います。
求人・就職、に関してはそもそも基本的なスタートの部分で既に日本とは大きく感覚が異なります。多くの人々の基本的な毎日の生活がその日暮らしに近く、今、食べる事に困っているのですが、その様な人は自分の周りにはあたりまえの様にたくさんいるからそれは普通の事でまた「失業中」は、恥ずかしく無いのです。仕事は探せば幾らでもあります。それでも仕事が無いと言います。子供に宿題をやれ、と言った時にエンピツが無いとか教科書を学校に忘れたと言う言い訳にも似ていますね。
そして文中にあった臨時雇用制度に雇用者側が慣れてしまっていて廃止になった今でも、6ヶ月から1年も働くと「首」になったり或いは辞めてしまった時に自分は十分に仕事をやり遂げた。と、日本の大手企業で長年勤め上げて定年退職を迎えた時と同様に堂々と無職で生活します。
大きく異なるのは、日本人の場合自分での蓄えでその後の生活をするのですがフィリピンの場合、その様な短期で蓄えがあるはずは無くて、その日から「タカリ」の生活に戻るのです。「タカリ」と書きましたが、その様であると言う事で、フィリピンにおいては仕事をしている時には神の言う、「施し」の側で失業したら「施される」側に回るだけです。恥ずかしくはありません。ここではそれは当然なのです。悪い意味に取らないでください。
我々日本人の感覚では多分理解出来ない程、クリスチャンである人々の中にこの「施し」の精神は極、自然に根ずいていて、例えば男達が数人集まり、その内の誰かが一服しようと、開封していないタバコを取り出す。この時点でこのタバコはそこにいる全員のタバコです。従がって無言で人のタバコをサッと取って吸い始める、「1本頂戴」の一言はありません。そうでしょう、自分のタバコを吸うのに自分に「1本ください」とは言わないでしょう。だから、自分で吸う為に出した自分のタバコを皆が取りやすいようにテーブルの中央に投げるように出す事が暗黙のルールで、自分だけ吸ってまた軽い気持ちで自分のポケットにしまう事は罪悪です。それはみんなのタバコを盗んだのと同じです。自分で購入したタバコなのにです?? 通常フィリピンではタバコのばら売りは一般的で、ですからこのような時大抵は人数分の本数買って、1本づつ分けて吸います。たまたま余った1本は耳などに挟みこんでキープする事は問題無いようです。
タバコを例にお話しましたが、自分で働いて稼いだ給料さえもそれに近い感覚なのです。一応それぞれの家族の食べる分の蓄え(せいぜい何日か分)は問題ありませんが、多くの蓄えがあると思われた時には、親戚や友人から一気に入院の話や学校の支払いその他諸々の問題が殺到します。当然の事ですがこれらの諸問題は全て、お金で全て解決します。そして、その時に貸してあげる(殆ど戻りません、恥ずかしいから貸してと言う言い方になっているだけです)事は当然で、貸さない事は罪悪なのです。だから当然の事ですが蓄えが無い方が自然で無理が無い生活が出来るのです。その日暮らしに近い生活、それがノーマルです。収入があったらサッサ使う、次の給料日まで後何日だから1日幾らで幾らキープして・・・・・・そんな事考えるヒマがあったら使ってしまうのです。お金が無くなった後に借金の(大抵みんなある)催促が来ても集金に来るのが遅いのが悪いのであって、考えずに使った本人は悪くないのです。自分で忘れていても、みんながおごってくれと言うからおごってしまい無くなったのだから、おごってくれと言ったみんなが悪いのです。この言い訳が大人の世界で通用するのが怖い(笑)。勿論、集金に来た人にもこの言い訳は通用しています(爆笑)。
フィリピンの銀行には財形貯蓄や積み立て型の預金システムはありません。あっても利用者は多分誰もいないからで、定期も最長3ヶ月までです。自分で頑張って稼いでもそれは自分のお金であるのに全額自分だけの為に使う事はとんでもない悪人なのです。「変人」と言うと語弊もあり、説明が難しいのですが、蓄えを多く持つ人やこれから蓄えようとするにはその地域の昔からの大金持ち以外、おおかれ少なかれ一般的な庶民からは変人に見られる事が否定できません。
普通に働いて・・・・ここまではOK、しかし、普通に蓄える事はフィリピンでは相当な覚悟がいります。だから、フィリピンは成長するのに大変なのだと思います。今後、何十年かが経過して、周りの国が成長してもこの国は大きく変化する事は難しいでしょう。
そして、ジャパユキさん(日本に出稼ぎに行く女性)は口を揃えて殆どの女性が結婚するなら日本人が良いと言います。フィリピン人は仕事が嫌いだから、と、でも、前記の様なフィリピンの気質?生活?から日本人との結婚によって、たとえ(女性である)今後自分が働かなければならない事になってもその悪習から抜け出せる事を悟っているのでしょう。この国での求人・就職は「施し」の側と「施される」側の微妙なバランスで成り立っていると僕は感じています。既にお金が無くて3日も食べられない状態が続いても、「家族全員3日食べて無いよ〜」と、少し悲壮感に満ちた顔で訴えた後に、その時、何を思っているのか判りませんが、瞬時にいつもの屈託の無い明るい笑顔に戻ります????
その様な意味合いからは、彼らは異常に「強いっ!」
では。いちろうでした。
【2003年5月16日】フィリピンのビザについて
ビザに関してはボラカイ(フィリピン)には通常の旅行者であれば21日間までは何の申請の必要も無く観光で滞在出来ます。21日以上の滞在が訪比時に判っている場合はフィリピンに到着後、お早めに(日本でも勿論申請可)フィリピン国内の旅行代理店等でエクステンション(延長)手続きを行ってください。料金は申請する代理店でも異なり提出する出張所でも違い、さらに1ヶ月の延長なのか3ヶ月の延長なのかでも異なります。
そして21日よりも1日でも長い滞在の時には事前の申請を行わなくてはいけません。1日オーバーでも1ヶ月の申請です、21日プラス30日の滞在が許可されます。不思議なのは2ヶ月を申請しても1ヶ月しか許可されない事や逆に1ヶ月で良いのに2ヶ月になったり??? 料金も僕が以前、自分の延長を行った時やスタッフの申請をした時、ここ8年間の事ですが、期間と料金がいつも違うのです?
2〜3ケ月の間に複数の手続きを行う時にはおおよそ一定額で期間も一定です。しかし、半年程、間が開くとまた状況が変わります。その様な状況の申請手続きで1年間までは滞在が許可されます。
1年以上連続で申請または無許可滞在の経験は無いので判りませんが(不法滞在で見つかればペナルティを支払い強制送還)1年以上の滞在が予測される時には1日でも良いのでフィリピンの国外に出てからもう一度入国すれば、延長申請でさらに1年は問題ありません(旅行者・観光です)。但しこれが2年目、3年目になってくると、フィリピン国内で仕事をしているだろうと疑われて入国の時につつかれますが、僕の知る限りではそれで入国を拒否された人はいません。何か言われた時には、戸籍が入っていなくてもフィリピンに奥さんや主人が居ると言うと殆どOKです。
過去に21日間以内の滞在予定が急に延びて申請が出来なかった事があり、うっかりした振りをして帰国しようと試みた事が何度かあって、この時は1日オーバーを注意のみでOKされた事や、1日分のペナルティを取られた事、2〜3日のオーバーではかなり真剣に怒られて挙句の果てに1日幾らでペナルティを徴収された事もあります。ズルしてパスポートに500ペソから1000ペソ程度挟み込んで、顎をしゃくり上げて袖の下でOKの時もあったし、きちんとそのお金を落ちないように挟み直してくれる親切な? 係員もいて、その様な場合は滞在期間のオーバーを指摘されてペナルティを取られた事もあります。ペナルティの時には1日あたり1000ペソから1500ペソだった記憶(5年程前でいつもそんなことして帰国してました)その時の状況で異なりますが、きちんと事前に申請する事が望ましいです。(当然ですよね)
手続きは本来、出入国管理局「イミグレーション」で行うのですが、言葉の問題やとにかく待たされるので代理店が正解です。手数料を払ってもず〜っと良いですよ。余程、気長でヒマで、少しでも安く申請したい方は直接マニラや地方の出張所でも(ボラカイにも去年出来ました)OKですが、何時間も待たされるか、何かしらトラブルは起きる事が多いのでお早めに、お早めにですョ、代理店に任せましょう。
僕は現在、就業ヴィザなので仕方なく出入国管理局に行くのですが(弁護士に依頼して書類関係は全てOK) 待たされます。何時間も待たされます。午前11時に行ったら、もうすぐ昼なので午後一番で申請してくれと言われて必要以上に長いランチを取って、指示通り午後一番で提出、山と積まれた書類の上にポンと置かれて、いや〜な予感、その後何時になっても呼ばれないので再確認したら・・・・・・・ナント!! 「担当者が2日酔いで仕事がはかどらない」から時間が掛かっても仕方無い。エッ! そんなの理由になるかよ〜っ!! ホントにそう言われたのです。ここはフィリピンですホントなんです。日本とは全然違います。日本でそんな事言ったら大騒ぎでニュースですよね。結局午後4時半に処理が終わり、と、思ったら、それから書類に日本の印紙の様な物を購入して貼ってくれと言われて3階での申請なのに、売り場は1階、仕方ないから下まで購入しに行くと、5時で業務は終了になるので販売は4時半まで、沢山の窓口はあっても他の業務も併設されていて長蛇と、日本の人気のある病院の待合室さながらの混雑、4時半までに何とかしようと、プラスチックで仕切られて尚且つ金銭受け渡し用の小窓は既に閉じられているので、その上の小窓に大声で何やら大騒ぎしているフィリピン人以外の申請者達、勿論僕もその一人(笑)。窓の向こうでは平然と帰り支度、何故か今夜のパーティの練習とか言いながらカラオケの器材のセッティングをしている人もいる。冗談じゃ無い! 明日も待たされるの何てたまったモンじゃ無い! 一人捕まえてやっと購入、他で騒いでいる人を尻目に急いで3階に駆け戻る。当然の事ながら3階も業務終了。明日の便で帰国するんだ〜、とウソついて・・・・・受け取ってはくれた、が、明日取りに来てください、でチョン! 翌日が土曜日(半日は業務しますが混雑)日曜や祝日だったら当然月曜になります。
台風シーズンでいきなりお休みになる事もあります。アジアサミットが開催された時には要人専用に主要道路の車線の半分を専用道路とした為に信じられない程の大渋滞が起きて3連休になりました。銀行も他の企業も本当に臨時休業になったのです。何年か前はイミグレーションに友人がいて、訪問した時にイミグレーションは貧乏で電気代が払えずに今、電気が止まっていて暑くてゴメンと言われ、確かに薄暗い感じはしたけどジョークだと思っていたら、その後のニュースで電気料金の不払いで本当に電気が止まってました(笑)。信じられますか? それは本当の話でその様な事は他にもたくさんあります。その後、全てを委託して自分では絶対にイミグレーションには行かないと心に誓っていたのですが、今回は書類にサインをするだけの簡単な申請なので本当に10分で終わると弁護士に言われ半信半疑で、まぁそれでも1時間で終わるだろうと思っていたら・・・・・・・やはり、しっかり3時間以上!
以前、行政の工事の話の時にも、とにかく遅いと書いた事がありますよね。他でも銀行やエアーチケットの購入窓口等、理解出来ない程遅いのです。僕が知り合い等にフィリピンに関して仕事の相談を受けた時には、日程を多く取る事が絶対条件と必ず教えるようにしています。シーガイアの仕事を始めた頃は様々なミィーティングや書類申請があって、その時は随分無駄な時間を費やしている事に腹を立てた事も何度もありましたが、フィリピンではそれは無駄な時間では無くて必要な時間なのです。
暖かい国でのんびりしているのだろうと、言う方もいますが、多くのドライバーの殆どは(歩行者も)信号が赤から青に変わる前にずるずると前に出て行きます。車間距離も取らずスペースがあれば車線に関係なく頭をつっこみます。極端な時には片側2車線の道路で交差点付近はこちらに横に5台車が並び反対側も3台横に並んでいるのです。驚く事にその一番端の隅の車が反対側に曲がろうとウインカーを出して、曲がるのです! 渋滞していても交互に交差点にはドンドン進入してくるので、時々訳がわからない交差点もあるくらいです。僕は国際免許の申請をしていますがマニラでは絶対に運転しません。そのくせ、歩くのは遅いのです。第一あまり歩きたがりません。50メートルもの距離が離れているだけでも何かに乗ります。その様な距離でもジプニーやトライシクルはきちんと文句も言わずに乗せてくれて「パーラ」と言ってお金さえ払えばこんな距離歩けよーとは言いません? こちらが言いたくなる時もあります
ビザの話からマニラの話になりました。ボラカイに戻ります。ボラカイには乗用車は殆ど無く、当然信号はひとつもありません。庶民の移動手段はバンカーボートとトライシクルかバイク及びトライサイクルで、この島にはフィリピンで有名なジプニーも走っていません。結婚式の時の送迎等で使用する高級車は日本の軽自動車と同じ形のワンボックスでこの種類は何台かあります。大手ホテルのゲスト送迎車は軽トラックで荷台には屋根があって、しっかりと両横にベンチシートが作られています。ロングタイプの荷台では前向きに3列のベンチシートがあります。ボラカイのおまわりさんもこのタイプの車できちんとポリスと書いてありますからそれと判りますが、書いて無ければただの軽トラックです。2トンクラスのフロントガラスの無いトラックやドアの無いトラックも走っていて、ゴルフのカートも乗用で走っていますが、ゴルフのカートはボラカイでは超高級車に見えるのは僕だけかなぁ?
今日はこの辺で、いちろうでした。