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★★★ カナダBC州スコーミッシュ便り ★★★
〜カナダのド田舎より・その2〜

文:エイブ串田さん&串田洋子さん(ハミングバード・ペンションB&B経営)


【2003年10月27日】スコーミッシュとペンバートンの村が13年ぶりの大洪水に襲われました!

 10月に入って第2周目の週末当たりから雨が降り始めました。過去半年も雨が降らず良いお湿り位に思っていました。スコーミッシュのこの村に長く住んでいる住民が洪水が来るかも知れないと心配していました。2メーターも水位が下がっていた池も50cm水位が上がっていました。木や草花には丁度良い降水料です。

 17日の夕方にはペンションの前後マイル20やマイル16当たりの場所にはかなり水溜まりが出来て其の橋の当たりはトラックでも通れなくなり通行止めになっていました。もう町には出られません。点在している民家も古くからある家は土盛りをしていなく、地面からすぐに家を建ち上げているので床上浸水を心配していました。10年前位から建築された家は法律で地面より6フィート以上の丘を造り其の上に家を建てなさいと言う事で我家は8フィートの高さの丘を池を掘った土で造りました。従って床上浸水の心配はありませんでした。

 18日(土曜日)、雨がひき続き降っていました。朝から裏に住んでいる家族がヘリコプターで救助されていました。我家より土地が1メートル半も低いのです。午後3時頃遊びに来ていたサラと洋子が同時に洪水が来たと叫びました。ゴーゴーと言う音と共に前の道路側と西側から泥水が池の方に向かっています。遂に池に滝となって入り込みます。まるで小さなナイアガラの滝の様です。私は東側に張ってある6人用のテントに向かいたたみ始めました。流れが早くはや池は満杯になりました。急いでたたんだテントを高台のデッキにほうり込み残された四輪の芝刈り自動車を押すのですが後輪がパンクしていて思うように動かせません。洋子を呼んで二人で丘の中腹迄やっと運びましたが二人とも息をゼイゼイしていました。重い事重い事。運び終わった頃には水の流れはヘリポート迄達していました。洪水が始まる前に地面が低いところに住んで高台がない隣人達に声を掛け車を非難させるためにペンションのパーキングに車を持って来るように伝えたところトラック4台乗用車1台がやってきました。我家の2台をあわせて7台が集まり皆無事でした。川に近いところに住んでいる車はペットの犬を乗せたまま流されてしまったそうです。たちまち10分位で家の周りは湖と化して仕舞いさらに流れを伴って川となりました。夕方暗くなるまでヘリが低地の住人を救助していました。夜中は1時間おきに水位を見守っていましたが雨も止み水が引いて行くのが解り3時頃ようやく眠りに付きました。

 10月18日、洪水を心配して我家に来てくれた人達と、電話をかけてきてくれた人達です。
◎マイル9に住んでいるパトリック(電話)
◎テレビニュースで知ったリッチモンドの平井夫妻(電話)
◎息子の秀星(電話)
◎娘の英実(電話)
◎マイク佐藤夫妻(電話)
◎スコーミッシュ役場のトウルーデイーコーツ(電話)
◎千安知恵子さん、英さん(電話と後日来てくれた)
◎近所に住んでいる電話技師のジョン・ パウウェル(来てくれた)
◎植物学者のサラ
◎大工のダニエル
◎製材業のレイニー
◎スペイン人のエルネストとミドリさん
◎右隣リに住んでいる測量技師
◎ 顔を知っているが名前を覚えていない隣人
◎初めてあった隣人
 ……以上の人達の好意は一生忘れないでしょう。

 10月19日(日曜日)小雨後晴れ。朝7時に目が覚め庭を見渡すとパーキング場の坂から水が3メーター程後退していたので安心して又1時間半ばかりうとうとしてました。洋子は8時頃から家まわりのゴミ拾いと掃除をしていました。スペイン人のエルネストから電話を貰い様子を聞くと彼の家の前の丸太橋が流されてしまったとの事。自分が作りかけていた橋はまだ半分しか出来上がっていないので忙しいと言っていた。私も手伝おうと思っているが家から出られない。まだペンションからゲートまで130メートルの3分の2が水に浸かっているのです。

 リッチモンドの平井さんに電話で昨日の電話のお礼を言うと、いつでも助けに行くからと嬉しい言葉を貰いました。マイク夫妻からも同じような言葉をかけて貰い離れていても気の通じる知り合いは大切だと思いました。皆さんに勇気付けられました。本日もアッパースコミッシュ ロードは一日中閉鎖です。ネイテイヴインデイアンのパトリックの家は川の近くなので大丈夫だろうかと心配です。

 午後2時頃裏庭の水が引いて来たのでステイーヴのロッジの中を点検しましたが床上浸水もなく無事でしたのでそのことを電話連絡したら喜んでいました。バンクーバーでテレビニュースを見ていた平井さんがスコーミッシュ町長が状況説明をしていたと言ってました。今までの良い天気で洪水は来ないと思っていましたが長年の経験で発表された政府の注意が正しかったと思いました。しかしこの村で一人も犠牲者が出なかった事は幸いでした。ウィスラーの先にあるペンバートンの村では橋が流され2人死亡、2人が行方不明だそうです。


【2003年9月30日】清水町とスコーミッシュの姉妹都市提携がついに成立!

 さて速報です!
 9月27日(土曜日)スコーミッシュ ハウサウンドイン ホテル会議室にて午前11時に静岡県清水町とカナダB.C.州スコーミッシュ町との姉妹都市提携が成立しました。清水町の町長 平井弥一郎、スコーミッシュ町長Ian Sutherland(イアン サザーランド)の二人が協定書にサインをして出席者全員で乾杯をしてこの成立を祝いました。カナダ全体としては66番目、B.C.州としては34番目になるそうです。今朝知り合いのバンクーバー日本領事館のNさんに報告しておきました。彼も喜んでいました。私もこちらでのコーデイネイター、ネゴシエイターそしてレポーターとしてこの歴史的な瞬間に参加出来て満足です。
 9月24日から27日までの4日間平均睡眠時間2時間の仕事で今は意識もうろうとしていますが大きな仕事をやり終えた満足感で一杯です。人間目的意識を持って地道に行動すれば何事も達成出来る事を証明できたように思います。


【2003年9月17日】

 3回目の訪問団のリストです。最終的には国際交流協会会長の夫人靖子さんが都合でキャンセルになり、清水町役場統括参事の山崎好明さんが参加する事になりました。まるで静岡県清水町のお偉いさんが殆どスコーミッシュに来るみたいです。こちらも姉妹都市提携に向け最終段階に来ましたので忙しくしています。こちらのメイヤーが11月3日に清水町町制40周年記念式典に参加して調印式を行うそうです。今回は合計28人の訪問団です。この提携が成功するとカナダにとっては70何番目かのの姉妹都市に成るそうです。新渡戸稲造博士の"願わくば我太平洋の橋とならん”とまではいきませんが、清水町とスコーミッシュの架け橋になれただけでも満足です。なお清水町からの訪問は9月24日から9月27日迄です。この行事が過ぎると時間が取れますので提案した仕事が出来そうです。

清水町長・平井弥一郎・同夫人(久代)
清水町国際交流協会・会長/亀谷健・同夫人(靖子)
清水町国際交流協会・副会長/伊丹弥生
清水町国際交流協会・会計/杉山武
清水町議会・議長/鈴木耕(たがやす)
清水町議会・副議長/庄司勝彦
清水町議会・総務委員長/吉田功・同夫人(香代子)
区長会・会長/堤保潦(つつみ・やすろう)
区長会・副会長/渡邉和一(わいち)
商工会・理事/遠藤武子(たけこ)
清水町文化協会・会長/小宮美津子
清水町教育委員会・委員長/木村正夫
清水町教育委員会・委員/鈴木昂(たかし)
教師/杉田暁彦
清水町役場・地域振興課・課長/和田明
清水町役場・地域振興課・主事補/木村直人


【2003年9月11日】お客様からのメールです

 「エイブさん、メールありがとうございます。それから昨日、郵便で写真が届きました。いろいろありがとうございます。
日本語ホームページの編集に役立てていきます。清水町との交流事業もいよいよ本格的に始まるのですね、これからの展開がとても楽しみです。なにかお手伝いできる事があればなんでも言ってください!
 それから、ふと思い出したのですが、1998年の長野オリンピックや昨年のサッカーワールドカップでは、地元の自治体や小学校が分担して参加各国の応援団を作り、
応援や歓迎会などの交流活動を活発に行っていました。まだ先の話ですが、清水町にオリンピック代表選手がいるかどうかはわかりませんが、清水町を通じて何かの競技団体とのつながりができれば更に交流の輪がひろがってくると思います。2010年のオリンピックに向けて、日本だけでなく、各国選手団のキャンプ地として、これからスコーミッシュにどんどんオファーが来ると思います。」Akinori Uno


【2003年8月29日】今年の夏、パートナー 洋子が大活躍

「その1・ 7月の終わり近く、近所の主婦に餃子の作り方を教える」

 午後3時頃近所に住んでいるフレイザー大学で植物学を教えているサラと他の二人の主婦達に頼まれて餃子の作り方を教えていました。挽肉、にら、エビを使い、こね方、スプーンで皮に乗せる方法、皮の縁を水でぬらして具を閉じる方法、最初はぎこちなかった手つきもスムーズになり、焼きあがった自分達の作品を”おいしい、おいしい”と言って沢山食べて、帰りにはお土産に又餃子を作り、ブルーベリーも沢山つんで喜んで家族に食べさせるのだと言って帰りました。毎月一回日本料理を一品ずつ教える事になったそうです。数日立ってサラが自分の生徒を招いて餃子の作り方を教えて食べさせるのだと洋子に伝えたそうです。サラはペンションの庭で取れた薬草や花等を利用して、香水や薬を作ってファーマーズマーケットで販売もしているたくましい人です。

「その2・ 今年の晩春から始めた野菜、果実の収穫」

 今年から始めた、青じそ、にら、チャイブ、日本のキューリ、ナス、かぼちゃ、豆、ふき、ミョーガ等が順調に育ち、ミョウガはこれからですが毎日無農薬、オーガニック野菜が食べられる様になり我家の食卓とお客様の食事に貢献しています。経済的にも、安心感にもつながり心も豊かになります。帰りにはお客様自ら野菜を収穫してお土産に持って帰ってもらいます。双方ハッピーです。種は日本でハミングバードペンションの代理店をしている宇野輝則君(http://member.nifty.ne.jp/hummingbirdpension/)ェこの春お土産に持って来てくれたものと、マイク佐藤夫妻が日本へ一時帰国した際に買ってきてくれた種を育てた野菜達です。)tがこの春お土産に持って来てくれたものと、マイク佐藤夫妻が日本へ一時帰国した際に買ってきてくれた種を育てた野菜達です。こちらアッパースコーミッシュは4ヶ月以上もまともな雨が降らず、ペンション前の池の水位が2メーター程下がって金魚達がかわいそうです。水位が下がった分鳥達が金魚を見つけ易く毎日食べられています。野菜には毎日ホースで水をかけてやり、洋子が毎日残飯を埋めて肥料にしているのですくすく育っています。味や香り
はスーパーで売っている野菜と違い、昔の懐かしい本物の味と香りでおいしく最高です。
 果実も、ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、ストローベリーとリンゴ、チェリー、プラム等も今年の収穫です。野菜の大根は土が固く成功しませんでした。本体は短く、葉っぱのみが長く生えましたが私達はこの無農薬の塩ずけが大好物です。スーパーでは葉付き大根は売っていない。来年はチャンピオンのウェインジャクソンの日本での大家さん水野鉱吉さんに戴いた5種類の大根の種を蒔いて挑戦です。畑の床を1メーター位にしておいしい大根が出来ればと今から準備です。
ウェインがお父さんに頼んでトップソイルと牛糞をトラックで運んでくれるそうです。

「その3・ 日本食、洋食とも大好評」

 この夏宿泊してくれたお客様達に好評だったのが洋子が作る日本食やバンクーバーでシェフをしている娘のエミのアドバイスの洋食が好まれ、お客さんからの口コミでつながり皆さん大いに盛り上がりました。お客さんに誉められるとやはり嬉しい様です。

「夏休み中のお客」
 今年は6年振りに語学学校ILSCのサマースクールがSARS、イラク戦争、テロ等でキャンセルになり一般のお客様を受け
られる様になりました。
  特徴としては中国人家族16人、カナダ及びアメリカ人家族の混合ファミリー16人、リバーラフテイングや乗馬をしに来たグループ、又は近所の牧場に200人の団体がRAVE PARTY(らんちき騒ぎパーテイー)を行う為にキャンプをしていたが水が干上がり水道も、シャワーもトイレも使えなくなりリーダー夫婦だけがペンションに泊まったり、山奥に一人でドライブをしてエンジントラブルで真っ暗な山道を20キロメーターもとぼとぼと歩き、キャンパーを見つけてペンション迄送ってもらい宿泊してくれたドイツからの老婦人。しかもドイツからカナダに住む孫に会いに来て、7月2日に2010年冬季オリンピックがバンクーバー、ウィスラーに決定された為、ウィスラーを見学し、その後夕方からアッパースコーミッシュを抜けてさらに奥地のイラホ迄運転し、Uターンをしようとしたらエンジンが止まり電気も消えて仕舞ったのでマイル45からマイル33迄(約20キロ)山道をハンドバッグ一つを持ち歩いてきたとのこと。ドイツではマニュアル車しか乗った事がないと言う事で、単なる操作ミスだと思われます。彼女の夫はトルコ人だそうです。イギリスからはラフテイングに来た若者3人、風気味で行きたくないと言いながら出かけて行きました。
 姪の結婚式に出席する為にトロント郊外のロンドン(イギリスのロンドンではない)からELAHO RIVER ADVENTURES CO.に勤めているクリステインの両親と姉さんのキャリーが三泊四日滞在してくれました。彼女の父親はロイヤルバンク カウンセリング会社の副社長です。奥さんのグレイスがペンションの雰囲気、食事のおいしさ等を宣伝してくれお客さんが来てくれました。又ロスアンジェルスからの先生夫妻はロングビーチに住み、ここカナダのホースシューベイの近くにあるギャンビアアイランドに今別荘を建てているとの事。2ヶ月間の夏休み中カナダに来て旅行をしているとの事。ペンションと食事を気に入ってくれ10月に友達を招待したからと前払いをしてくれて、同じ食事を出して欲しいと頼まれました。多くの宣伝費を使うより泊まって戴いたお客様に満足をして戴く事がいかに大事なのか実感しました。現在使っているインターネットも大活躍しました。メールをやり取りしてホームページを見て宿泊してくれたお客様が半分近くいました。ますますこの文明の利器が活躍してくれそうです。
 大停電のニューヨークからも、隣のニュージャージー州の友人と泊りに来てくれた若者もいます。電気のない怖さを語ってくれました。8月18日から26日迄泊まってくれた日本から帰って来たチャンピオンのウェインが日本でのかれの大家さん水野鉱吉さんと友人、若い校3の志穂ちゃん、姉さんのすみれちゃんを連れて来てくれました。名字は布瀬です。かわいい姉妹で東京在住です。ウェインに案内され夜中迄観光をしていました。来年名古屋近郊の人達はチャンピオンと一緒に泊りに来て下さい。多分その頃は25分のドライブで行ける場所にマイク佐藤が開発している温泉が出来上がっているでしょう。ちかじか日本からテレビクルーがマイクをインタヴユーに来るそうです。ウェインは両親が町に住んでいるにも関わらず、ずーとペンションに泊まってくれました。一日おばあちゃんの家に夕食に行って日本から来た水野さん達もカナダ人の家庭で食事が出来た事を大変喜んでいました。来年からはボクシングの生徒、のサマースクール、卒業旅行、春休み、夏休み、冬休みツアーを組んでペンションに来てくれるとの事で大いに期待出来ます。本日8月28日に日本へ帰りました。荷物が多く弟子であった息子の秀星が二台目の車として皆さんの荷物を洋子のTOYOTA 4 RUNNERでバンクーバー国際空港迄送って来ました・

 又バンクーバーで明光インターナショナルILLCを経営している吉武さんファミリー5人が泊まってくれた時は温泉開発中のマイク佐藤さんを呼んで話しが盛り上がり何と吉武校長がトロントで毛皮商に勤めていた時の社長がマイクの経営していた会社のトップセールスマンをしていたとの事。何か不思議な因念めいたものを感じます。ハミングバードペンションが出会いの場所になって来た様です。

 総括として今年の夏は素晴らしいお客様に恵まれ楽しい時を過ごす事が出来ました。皆様有り難う御座いました。

 次回はここの村の暮らし振り、町の暮らし、ネイテイブインデイアンとの付き合い、そして姉妹都市清水町から23人の訪問団の話題もお送りします。


【2003年8月29日】夏のコワ〜イ体験談

 8月中旬から本日迄一日の休みもなくお客様でにぎわっていました。毎日寝るのが2時、3時で寝不足でした。明日から3日間位のんびり出来そうです。

 今年はテロ、SARSそしてイラク戦争等で海外旅行、特にカナダを含めた北アメリカ大陸、東南アジアへの旅行者が激減した様です。熱し易く冷めやすい日本の人達は来年は又何事もなかった様に海外旅行を始めるでしょう。ここカナダは東部カナメ・トロント周辺は大打撃だったようです。西海岸バンクーバーもその影響を受けました。こちらはSARSの話題もあまりなかったのですが、海外の人達は距離に関係なくカナダでもはやっていると信じられたのです。これは日本の報道姿勢に問題が有るようです。時差や距離を考えない報道です。例えばニューヨークで起こっている事件がロスでも同時期に起っているという報道に似ていませんか。
 それよりもこの夏、フランスの毎日の高温ですでに4000人死亡、10、000人が死ぬであろうとあろうと言う事の方が戦争と同じ位恐ろしいです。行政の失敗か、長年の習慣である夏にはバカンスで医者不足の国になるフランス、死体安置所不足等は他国のことながら心配です。

さて、ここで恐い体験談を。

「2002年7月15日私はもしかしたら死んでいたかも」

 日本は8月後半迄台風や冷夏でビールの消費量が伸び悩んだとか。最近は暑くなって来たようですが。
 昨年、2002年7月15日の出来事です。私が早朝山奥から家に向かって山道をのんびりドライブしていた時の事、曲りくねった山の坂道を家まで後23キロメートルと言う場所で、一車線の木の橋の上でトラック同士の正面衝突です。私は小さなクリークに架る15メーター程の橋のたもとでスローダウンして木橋に入りました。すると突然反対側からスピードを落とさず、時速80キロメーター位のスピードで白いトラックが突っ込んで来ました。私は橋に入りかけで時速30キロ位。相手の二人の若者は話しをしながらブレーキも踏まずあっと言う間に正面衝突です。相手側は坂を駆け上りいっきに橋を渡ろうとしていたのです。後で話しを聞いて見ると二人の若者は山奥の職場に遅刻をしていて急いでいたそうです。この山道は材木を運ぶ産業道路で速度制限は時速60キロメーターになっていますが誰も守っている者はいません。
 相手のトラックが向かって来た時には”もうだめだ。ぶつかる!”と覚悟を決め、急ブレーキをかけハンドルをしっかり持ち、衝突しましたが、その何分の一秒の間に走馬灯の様に自分の人生がめまぐるしく脳裏に浮かびました。ブレーキを踏んだ右足、腰、右腕、肩、首筋に激痛が走り一瞬ハンドルにもたれ意識がなくなったようです。そして何十秒、か何分か経った時に二人の若者はトラックをバックさせて橋から出し、私のそばに来て”Are you all right?"と聞いてきました。私はその声を聞き意識が冷め、突っ伏したまま右腕を静かに動かしました。痛みはあるものの動かせたのです。そこで”I'm still alive. 俺はまだ生きてるよ。”と二人に言うと青い顔の二人はホットした様子でした。私が死んでいなかったからです。
 その後数分後にペンションに泊まっているヘリロッギング会社のチーフ、BILL CLARKEが”エイブ大丈夫か?”と声を掛けて来たので”何で貴方がここにいるのだ。”と聞くとその二人がものすごい速さでドライブをしていたので先に行かせ自分はその後をついて山奥に向かうのだと言う。私のトラックは大破。ボンネットはぐしゃぐしゃ、バッテリーは飛び出してどこかへ吹っ飛び、後輪は低い欄干に乗り、後数センチ外れていれば橋から落ちて死んでいたでしょう。BILLに家まで送ってもらい、その後相手の会社インターフォーの安全検査官のDAL SHEMKOから事故の原因を聞かれ答えましたが、何と責任は5分5分だと言われ、そんな事はない。相手が前方を見ず、速度も落とさず、ブレーキも踏まずにぶつかって来たのだから相手が悪い。と言ったところ、”誰が見ていた?”と言われると山道で誰も見ていないので証人はいません。すぐその日に病院に行ってホームドクターを呼んで検査をして貰ったのですが、外見は膝を擦り剥いた位で他には何んの怪我もしてないので暫く様子を見よう、と言うだけでした。私の替わりにトラックがおしゃかになりました。気に入って入た車だったので残念です。奇蹟とも思える運の強さです。そこでもしかしたら俺はスーパーマンではなかろうかとも一瞬思いました。
  一回死んだのだから今後何が起っても乗り切れる自信が湧き、今まで以上に勇気が出て来ました。その後10日間位たってからバンクーバーに用事で出かけ、夜中のHWYをスコーミッシュに帰り際、照明が殆どないハイウェイ前方が近ずかなければ見えない、視力の低下が判明してあの時の後遺症だと気が付きました。今年豊作であったブルーベリーを毎日大量に食べていたところ新聞をメガネ無しで読んでいる自分に気が付きました。インターネットの画面もメガネ無しで読めます。後で聞いた話しではブルーベリーが視力の為に良いと聞かされ泊りに来るお客さんに食べるように勧めています。これは実体験です。

 一ヶ月後……。
 私のトラック事故で検査をしたDAL SHEMKOが丁度一ヶ月後の8月15日に事故で亡くなりました。原因は材木を吊り下げて運ぶヘリからロープが垂れ下がっていて風に吹かれてそのロープが自分に当たりそうになり、飛びのいた所が崖でそのまま60メーター下の岩に落下して即死。暫くは誰もきずかず数時間後に発見されました。彼は地元でも人気があるらしく、私も葬儀に出ましたが約500人の会葬者出席が有り別れを惜しみました。奥さんと3人の子供を残して亡くなり、私も心を痛めました。

 夏の恐い体験談でした。次は ”今年の夏、パートナー 洋子の大活躍”です。


【2003年8月22日】

 こちらも今は超忙しく毎日お客様に付き合っています。本日もB.C.州のヘビー級ボクシングチャンピオンを10年保持していたウェイン・ジャックソンとその一行を温泉予定地へ連れて行きました。彼らもその景色の綺麗さに感心していました。その他にも自分の姪が結婚式を23日の土曜日に挙げるとかでトロントから来て泊まっている夫
婦で満杯です。忙し過ぎて原稿を書く暇がなく焦っていますが必ず送りますので後何日かお待ち下さい。こちらも夏が終わらないと動けませんのでじっくりと待機しています。夕方温泉開発者のマイクが寄ってくれて山道の温泉予定地に続ずく道の両側の木を伐採する許可が下りそうだと言っていました。


【2003年8月13日】

 昨夜は面白い話題が二つありました。
 夜11時半に外の暗闇からハローという声が聞こえて来ました。玄関をあけると若い男女と60歳位の婦人がいました。其の若者が言う事にはこの婦人が夜中にキャンプをしている所に来て助けて欲しいと言って来た。理由を聞くと山奥の町から45マイル離れたところで車が故障して仕舞いハンドバッグだけを持って山道を何と4時間を掛けてマイル33迄歩いて来たとの事。キロにして20kmの暗闇をとぼとぼと歩いてきたらしいのです。そこから18.5マイルのハミングバード ペンション迄送って来たとの事で何と勇敢な婦人だと思いました。しかも一人運転のドイツからの旅行客です。ノースバンクーバーに住んでいる息子家族を訪ね、一昨日の2010年冬季オリンピック開催決定を聞いてウィスラーを訪れて其の帰り道山奥にドライブして車の故障にあってしまったとのことです。そのような訳でペンションに一泊しました。昨夜警察に連絡し、息子さんの家に電話を入れ、レンタカー屋に電話を入れて迎えに来て貰いました。彼女の息子の嫁さんは新潟出身の日本人 美幸さん、お孫さんの名前も確か日本名です。マーサというこのおばあちゃんの旦那さんはトルコ人だそうです。
 もう一つの話しは近所の農場でレイヴ パーテイー(らんちきパーテイー)を一週間もしているリーダー夫婦が今泊まっている家で水が出なくなったので泊まらせて欲しいと夜中1時半にきた事です。二百人もの若者を引き連れて来て水なし、トイレ使用不可でどうするのか気になります。一回の開催で何百万儲かるそうです。最近今までにない出会いが増えて刺激的です。
 実は地球の歩き方 2002、2003年版に載ったのも愛媛県からペンションに泊り気に入って紹介されたのがきっかけです。彼は日本語版のホームページを作ってペンションの宣伝をしてくれて日本での代理店をしてくれています。芯の強い立派な若者です。


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