| カシュガルは北京から西へ、遠く遠く離れている。私は東京から2日かけて、4回飛行機を乗り継いでやっと辿りついたのだ。カシュガルは漢民族の約3倍ものウイグル族が生活しているイスラム教の町で、中心にはモスクがそびえている。民族だけでなく文化も北京のそれとはかなり異なるため、日本でイメージする『中国』とは全くかけ離れている。ウイグル語しか話さない人が少なくないので中国語は殆ど耳にすることはなく、「漢字が書ければ筆談でなんとかなる」、というタカをくくって旅に出たが、カシュガルにおいて漢字は一度も役に立たなかった。あるときなど、飛行機の出発時間間際に空港に行こうと慌てて飛び乗ったタクシーの運転手が英語も漢字もわからなかったため、ジェスチャーで飛行機のマネをして(!)なんとか間に合った、ということもあった。日本人観光客もほとんどいないので、有名な観光地で経験するような「コンニチハ。安イヨ、見ルダケ、見ルダケ!」というみやげ物屋の執拗な『片言ニホンゴ攻撃』にも遭わず、素朴でのんびりとした田舎の生活に出会えた。
もちろん生活が素朴なら、食べ物も素朴な田舎風そのものだ。私の泊まったホテルの周りでは、日中『シシカバブ』以外にほとんど選択肢がない。羊・羊・羊。後半はそれに胃腸が音を上げてしまい、遠く2キロくらい離れた漢民族の市場まで歩いてゆき、毎日3食『刀削麺』という四川風味付けの麺を食べることになった。いくら自分は羊が好きだ、と思う人も、カシュガル風『ぶった切りの羊肉串焼き』のみを毎日3食食べたら、もう一生羊は……という気分になるだろう。中華街の麺でさえ、体にやさしく感じる。唯一感謝したのはビールが安いこと! ペットボトルの水よりも安く、620ミリリットル入りという大きな瓶で50円くらい。『新彊ビール』という地ビールしか売っていないが、どちらかというとドイツビールに似ており、なかなか美味しい。昼間は暑く、もちろんクーラーなどないので、ついつい……。
その後、カシュガルから更に南西へバスで10時間、パキスタン側国境の目と鼻の先にある『タシュクルガン』という町へ向かった。途中、海抜4,000メートルの所に『カラクリ湖』という有名な美しい湖があり、そこには宿泊施設もあるとのこと。少ない情報に不安を抱きつつ、バスの中で知り合ったニューヨーク在住の日本人・台湾人のカップルと3人で途中下車して用意されていたパオ風のテントに一緒に宿泊(……邪魔ですね)。
夕方になると少し頭が重く感じたので「高山病!?」と思ったが、「気にしない方がいいよ」という、チベットで高山病を経験した彼女に言われるまま、普段通りに食堂でチャーハンを食べながらビールで乾杯。……これがますますいけなかった。だんだん頭が重く、だるくなって来て、歯も磨けず顔も洗えず、倒れる様に就寝。夜中に目がさめると、なぜかマラソン直後のように息が切れている。トイレに行きたかったのだが、酸素不足で苦しくて動けない。しばらくして台湾人の彼がトイレに行くというので、やっとの思いで一緒にテントを出ると(トイレはもちろん外にある『野ざらしタイプ』)驚いたことにふらふらで、何かにつかまらないと歩けない。次の瞬間、思いきり吐き、やっとの思いでトイレにたどり着いたが、悪臭漂うトイレの中では酸欠のため息を止めることも出来ず、二重三重の苦しみだった。
今までに本で高山病のことは何度か読んだことがあるが、まさか自分が体験することになるとは思いもしなかった。高山病で命を落とした登山家の話が頭をよぎる。降りて高度を下げればすぐ治る、というが、降りる手段が1日1本のバスまたはヒッチハイクしかないのだ。朝になって少し体が慣れて呼吸は楽になったものの、動くと息切れが激しく、坂道などは登るのに3歩進んでは休み……といった調子だった。私はヒッチハイクだけは一生するまいと思っていたが、台湾人で中国語をしゃべれる彼がいたため、……というより、この高度のまま「夕方までバスを待つ」ことなど考えたくもなかったので、トラックを捕まえてもらって一緒に3人で乗り込んだ。彼の見事な交渉により、バスよりも安い値段でバスよりも数段快適なシートに座り、無事タシュクルガンにたどりつくことが出来た。タシュクルガンも標高は3,200メートルあり決して低くはないのだが、800メートル高度が下がると随分違うもので、急にすっかり元気になってしまった。
実は苦しくてそれどころではなかったのだが、私が通ってきた険しい山の道は『カラコルムハイウェイ』といって、パキスタンまで続く壮大な景色で有名な道路。7,000メートル級の山を見ながらの旅が出来、外国のガイドブックではこのハイウェイだけで1冊にまとまっているほどの道である。道はそれほど整備されているわけではなく、途中洪水のために道が壊れていて乗客全員が降りて車体を軽くして乗り越える、というハプニングもあったが、別に驚くことではないらしい。お世話になったカップルも、これからパキスタンに向かうところだった。
タシュクルガンはちょうどその休憩地点の町。隣の国、タジキスタンのタジク族が多いと聞いていたが実に色々な人種がおり、金髪に青い目の子どもや中東系の顔立ちの子どもが一緒に遊んでいたりする。みんな人なつっこく、あっという間に囲まれてしまう。遠慮がちにカメラなど向けようものなら、たちまち人だかりである。しばらく子どもたち相手に撮影会をしているうちに次から次へと兄弟や親戚が登場し、初めにいた子がわざわざおめかしをして母親に手を引かれてやってくる、などということもあった。田舎に行くとどんな国でも良くある光景である。しかし、今改めて写真を眺めても、本当に色々な「顔」があり、とても自分が中国に行って来たとは思えない。
帰国するとたちまち旅の苦労もよい思い出に変わるものだが、珍しく今回の高山病だけは帰国後しばらく経った今も少々苦い思い出として残っている。とは言え、次回は「高所でのビールは控える」ことに留意しつつ、懲りずにまた未知の世界を見るべく密かに計画を立てているのである。
(2000年6月)
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